カテゴリー: Cool Jazz

  • マイルス・デイビス / Miles Davis

    マイルス・デイビス / Miles Davis

    マイルス・デイヴィスの人生は、常に昨日までの自分を破壊し、新しい美を創造し続ける壮絶な旅路でした。1926年、イリノイ州の裕福な黒人家庭に生まれたマイルスは、歯科医の父と音楽家の母を持ち、幼い頃から乗馬や狩猟を楽しむような恵まれた環境で育ちました。この育ちの良さは、彼が後に見せる洗練されたファッションセンスや、既存の価値観に決して屈しない強固なプライドの源泉となったと言えるでしょう。

    10代でトランペットを手にした彼は、当時のジャズの最先端であった「ビバップ」というスタイルに魅了されます。これは非常に速いテンポで、複雑な和音の階段を猛烈な勢いで駆け上がるような、技巧を凝らした演奏スタイルです。しかし、名門ジュリアード音楽院を中退してチャーリー・パーカーという天才サックス奏者のバンドに飛び込んだ若きマイルスは、周囲のような超絶技巧で勝負するのではなく、あえて音数を絞った「空間」を活かす独自の表現を模索し始めました。

    1950年代、マイルスはジャズ界に衝撃を与える一歩を踏み出します。それまでの熱狂的で複雑な演奏とは対極にある、抑制の効いた都会的な「クール・ジャズ」を確立したのです。しかし、その輝かしいキャリアの裏で彼は深刻な麻薬中毒に苦しんでいました。数年間の空白を経て、自力で中毒を克服した彼は、1959年に歴史的傑作『カインド・オブ・ブルー』を発表します。ここで彼は、複雑なコード進行(和音の移り変わり)に縛られるのではなく、特定のスケール(音階)の中で自由に旋律を紡ぐ「モード・ジャズ」という手法を提示しました。これは、例えるなら決められた細い道を進むマラソンから、広い草原を自由に駆け回るような開放感を音楽に与えた革命でした。

    1960年代後半になると、マイルスはさらなる変貌を遂げます。当時流行していたロックやファンクの熱気に触発され、ジャズにエレクトリック・ギターやキーボードを大胆に導入したのです。この時期の代表作『ビッチェズ・ブリュー』は、伝統的なジャズファンからは「これはジャズではない」と激しい批判を浴びましたが、彼は一向に気にしませんでした。彼にとって音楽とは、過去の再現ではなく、今の時代の空気を吸い込んで吐き出すことだったからです。この挑戦が、後に「フュージョン」と呼ばれる新しいジャンルの礎となりました。

    晩年のマイルスは、病による一時的な引退を経て、1980年代に再びステージへと戻ってきました。そこには、シンディ・ローパーのポップソングをカバーし、最先端のヒップホップのリズムを取り入れようとする、どこまでも貪欲な芸術家の姿がありました。彼は1991年にこの世を去るまで、一度として後ろを振り返ることはありませんでした。マイルス・デイヴィスの音楽を聴くことは、彼が愛した「変化」という名のスリルを体験することに他なりません。

    マイルスの音楽には、彼が編み出した「モード・ジャズ」の静かな衝撃が詰まっています。