プロコフィエフのバイオリン協奏曲

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プロコフィエフのバイオリン協奏曲は2曲ある。1番は1917年に作曲され、ロマン的な抒情性と奇抜な和声が特徴だ。とくに第1楽章の夢幻的な旋律は、幻想的な世界を描いている。第2楽章では一転して、激しく鋭いリズムが支配し、彼のユーモアと皮肉が顔を出す。第3楽章では再び抒情が戻ってくるが、ただ甘美なだけではなく、不安定さや孤独感も漂う。

2番は1935年に完成され、彼の亡命時代の終わりに書かれた。より古典的な構成を持ちつつ、民謡風の旋律や独特のリズムが随所に表れる。第1楽章はスペイン風の情緒があり、カスタネットの使用などが印象的だ。第2楽章ではしっとりとした旋律が続き、深い内面性がにじむ。第3楽章では活発な動きの中に、遊び心と技巧的な華やかさが融合する。

両作品とも、プロコフィエフらしい大胆さと繊細さが共存しており、20世紀のバイオリン協奏曲の中でも特に個性的な存在である。

🎻 バイオリン協奏曲第1番と革命の混乱

1917年、プロコフィエフがバイオリン協奏曲第1番を完成させた年は、まさにロシア革命の年であった。激動の政治状況の中で、まともに初演する環境も整わず、結果的にこの曲はロシアではなくフランスのパリで1923年に初演されることになる。しかも、指揮者はセルゲイ・クーセヴィツキーで、ソリストはマルセル・ダリオーという無名の若手だった。この選抜に対して当時の音楽界は懐疑的だったが、演奏は大成功をおさめ、プロコフィエフの名をヨーロッパにさらに広めることになった。


🌍 第2番のカスタネットは、亡命者の旅の記憶

第2番の協奏曲は、プロコフィエフがヨーロッパ各地を転々としていた亡命生活の終盤に作られた。彼はこの曲について「旅の途中で書いた作品だ」と語っている。実際、スケッチはパリ、オルレアン、バクー、そしてマドリードなどで書かれた。そして初演の地はスペインのマドリード。第3楽章に登場するカスタネットのリズムは、このスペイン的な要素を意識して盛り込まれたものである。クラシック音楽では珍しい楽器使いが、彼のユーモアと土地の記憶を物語っている。


🧠 ショスタコーヴィチの嫉妬?

ソ連帰国後、プロコフィエフとショスタコーヴィチはある種のライバル関係にあった。ショスタコーヴィチはプロコフィエフの軽やかで洒脱なスタイルに対して、「プロコフィエフはシンプルすぎて、うっかり好きになってしまう」と皮肉を込めて語ったとも伝えられている。ただ、これは嫉妬というよりも、プロコフィエフの音楽が人々に自然に受け入れられる魅力を持っていた証とも言える。

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